常識 非常識 新常識


 人生で2回、歯医者にかかったことがあります。前歯に穴があいてどうしても面白い顔になってしまったので、仕方なく。はじめの歯科医では見るなり麻酔→削るをされたので、泣く泣く帰ってきて(麻酔の後遺症で唇のしびれがずいぶん残ったな~)、二軒目の歯科医には、明日結婚式に参加するからどうしてもとうそをついて、セメントのようなもので穴を埋めてもらった。医師が「これは仮の穴埋め剤なので、今後これをまたとりだして治療をしないといけません」と言ったけれど、以来20年近く?歯科医には近づいていない。仮というだけあってしばらくはザラザラのセメント状のものが気になったが、今その歯にはきれいにエナメル質がかぶさり、よーく見ない限りは他の前歯と変わりがない。体が自前の歯にしてしまったようだ。

 常識的には医師の言う通りにきちんと最後まで通って「治りましたよ」と言ってもらうものなのだろう。しかしどうだろう?あの時歯を削ってしまっていたら、もう戻ることはなかったであろう前歯が、今では痛みもなく、冷たいものが染みるわけでもなく正常に機能している。最近では歯はなるべく残す考え方を打ち出している歯科医が多くなってきているようだ。あの時の私の非常識が今になって新常識になってきている。

 では常識とはなにか?

私が鍼灸師として考える体に対する常識とは「生命力が保たれているかどうか」。生命力とは外界の環境要因とうまくかかわりながら、からだがバランスを取り続け永続していくこと。歯の例で言えば、どんなに見た目がきれいでばい菌などいないという美しい歯になっても、硬いものを噛めない、冷たいもの、熱いものがだめ、定期的に検査をして手入れをしなければ保てないというのであれば、それは歯の生命力ひいては私本体の生命力が減ったことになると感じている。

 不可逆とはもう元には戻れないという意味だけれど。歯を抜く、削る、体にメスを入れて臓器を切り取る、放射線をかけて細胞を焼き殺す、これらは不可逆的なことだ。そして昨今の注射も。RNA遺伝子を組み替える、遺伝子組み換えとはからだの設計図を書き換えるということだ。抗原と抗体、ウイルスにかぶさるカギは一種類のウイルスにつき必ず一種類のカギしか合わない。変異し続けるウイルスのなかで、たった一種類のためにその後の人生をかけて賭けにでることに対し、慎重に自分の生命に責任をもって選択する必要があると思う。

 歯科治療、抗ガン治療、注射、世の中で常識とされていることはたくさんあるけれど、もっと先ではくるりと覆されることだってあるかもしれない。今は自分のからだに聴いて、知識をつけて、自分の生命力は自分で守る。これが私の新常識。

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